恥を知らねば恥搔かず
「恥の多い生涯を送って来ました」
とは太宰治『人間失格』の第一の手記の書き出しです。
高校時代に読んで、この一文に引き込まれたのを覚えています。
私自身、多くの恥を掻いてきました。
そんな恥の大半は記憶から消去したり、封印したりして生きているわけですが、
ふとした瞬間に封印が解かれることがあります。
古い友人が久しぶりに帰省するということで、1対1で飲みに行ったときのことです。
中学・高校と一緒だったこともあり、昔話に花を咲かせていたところ、
「初めて会ったときのこと覚えとる?」
と友人が切り出してきました。
中学一年のときの記憶など朧気になっていたこともあり、
曖昧に返答したところ、彼は鮮明に覚えているということでした。
彼の超人的な記憶力に半ば驚愕していたところ、
「あれは中学一年の自己紹介のときのことだった」
と怪談さながらに語り始めます。
「あれは中学一年の自己紹介のときのことだった。
みんな当たり障りのない挨拶をする中、お前だけ寸劇を披露したんよ。
あれは今でも忘れられな」
寸劇・・・?
身に覚えのないことに私は首を捻ります。
自分が?
寸劇を披露・・・?
「誰かの間違いなんじゃ・・・」
「いや間違いないって」
彼の真剣な表情を見るに冗談ではなさそうでした。
彼の説明によると、寸劇の内容は以下の通りでした。
➀命乞いをする
②銃で撃たれる
③苦しみながら倒れる
私は恐る恐る彼に尋ねました。
「そ、それで・・・周りの反応は」
「めちゃくちゃスベっとった」
彼の言葉に二人で大爆笑しました。
それにしても全く身に覚えがなく、何故そんな発想に至ったか自分でもわかりません。
当時の私の思考を二人で考察してみました。
その結果が以下の通りです。
【前提条件】
・中学には2校の小学校から生徒が入学している
・私の自己紹介の直前に他校の生徒がマジックを披露した
【結論】
・他校の生徒に負けじと何かを披露しないといけない(かまさないといけない)と考えた
とこのように過去の自分の行動原理を考察してみても、大スベリしてしまったことには変わりありません。
私が赤面して頭を抱えていると、
「まあ、その自己紹介を見て、面白いやつだな、声掛けてみようって思ったんじゃけどな」
と彼がフォローしてくれました。
自己紹介を見て友達になりたいなと思わせたのであれば、自己紹介としては100点なのでは?
とも思いましたが、他の感情が湧いてきたので彼にぶつけました。
「いや、面白いと思ったんだったら笑ってよ」
「あの空気で笑うのはムリよ。初めて顔合わせとるわけだし」
今では自己紹介のときに笑いを取りにいくような賭けに出ることもありませんが、
人前で喋るときに緊張することもありません。
もしかしたら、中学一年時の自己紹介で大スベリをした経験が私を強くしているのかもしれません。
そう考えると何だか勇気が湧いてきました。
あの思春期真っただ中の頃、大スベリをしても元気に生きてこれたのだから、
これからどんな恥を搔いても平気のはずだ、と。
これからは恥を忘れるのではなく、それも自分の一部だと受け止めて、生きていく。
そんな決意をした初夏の夜でした。
Y.S